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会社を辞めて独立するとき、その会社のクライアントを持って独立する人がいる。クライアントが「辞めてもぜひ」と言っていたとしても、それをアテにするのはどうなんだろう。ちなみに僕が独立したのは約30年前。クライアントを持って出るなんてもってのほか。辞めた会社からも10年は仕事を受けない覚悟だった。自分の力で新しい仕事を取れないなら、独立なんてするべきじゃないと思うんだけどなぁ。

桐たんす職人、田中英二さんを取材させていただきました。

新作ばかりに目がいきがちですが、

修復、というか、現代に甦らせ、あと100年もたせる、という匠の技。

驚くばかりでした。

ふと我に返り、自分を見直すいいきっかけにもなった仕事。


桐たんすの思い出も一緒に、 現代に甦らせる。 | 田苑スタイル

桐たんす職人、田中英二さん。田中さんの手にかかると、傷みが激しく、使えなかった古い桐たんすも、まるで新品のように甦る。匠の技はどのようにして身につけられたのか。修復修理にこだわる理由はどこにあるのか。田中さんの腕前と思いに迫る。 道具をおろそかにしていると、どんなに腕を磨いても、いい製品は作れない。 東京・墨田区に工房を構える田中英二さん。テレビ朝日系列「劇的ビフォーアフター」「じゅん散歩」、日本テレビ系列「未来シアター」、NHK「cool japan」などで紹介されたこともあるので、ご覧になった方もいるのではないだろうか。古い桐たんすを新品のごとく甦らせる、匠の技を持つ桐たんす職人だ。 両親とも桐たんす屋の家系だった田中さん。桐たんすはもちろん、職人さんたちも間近で見ながら育つ。しかし、すぐに桐たんす職人の道を歩んだわけではなかった。 「2年ほどコンピュータ関係の会社に勤めて、企業のシステムやソフトウェアを作っていました。コンピュータもモノづくりですけど、それ以上に、カタチに残る仕事、長く使ってもらえるモノづくりをしたいと思うようになり、この道に進みました。」 桐たんす職人を目指した田中さんは、父親の勧めもあり、新潟県加茂市に修行に出る。加茂市は桐たんす生産量日本一で、職人の数も多い。中でも腕利きの伝統工芸士のもとで学んだ。 「道具の使い方から習いました。真っ直ぐにする、直角にする、平らにする、それが基本です。カンナやノミ、ノコギリなどの道具がきちんと調整されていないと、それができません。きちんと研いで、調整していれば、いい製品が作れます。」 道具や基本をおそろかにしていると、どんなに腕を磨いても、いい製品は作れない。それが田中さんの出発点だった。 桐たんすは分業で作られることが多く、木組み職人と仕上げ職人に分けられる。田中さんは両方の職人のもとで修行を積んだため、「一人で完成まで作り上げることができるのは、東京では私だけだと思いますよ」と言う。日本でも数少ない一人であることは想像に難くない。 壊れたところを直すのではなく、新たに甦らせて、現代に生かす。 そんな田中さんが精力的に取り組んでいるのが、古い桐たんすの修復修理。そのきっかけは2つあったと言う。

田苑スタイル

田苑酒造さんの麦焼酎「田苑ゴールド」が2017年9月リニューアル。その広告、ブランドサイトの制作に関わりました。

詳細な商品情報ばかりか、議事録など本来なら門外不出の資料まで見せていただき、コンセプトの立案からコピー制作に取り掛かりました。反面、実制作に関しては、ほぼ自由。これだけの環境を与えられたら、本気も本気、実力以上のチカラを出さないわけにはいきません。そんなプレッシャーを自分にかけ、高いハードルを自ら設定して、のぞんだこの仕事。果たして、その成果は…。

先日、企業再生で世界的に有名なコンサルティング会社から仕事の打診があった。

話を聞きに行くと、別のところにも声をかけている、と言う。

ま、そこまでは、よくある話。


簡単な打ち合わせ、オリエンを終えて、帰り際に

「どちらにお願いするか、今日中にご連絡します」と言われた。


ところが、待てど暮らせど、連絡がない。

ほかの仕事が忙しいこともあり、頭の片隅で気にしながらも、

ほおっておいた。それでも、2日、3日と経つと、気になる。

しびれを切らし、連絡してみると

「ほかにお願いすることになった」と言う。

あっけらかんと。


僕にはずっと思い続けていることがある。

“いい仕事をしたいなら、仕事を選ぶのではなく、

 一緒に仕事をする人を選ぶことだ。”


どんなに世界的に有名だろうと、どんなにギャラを積まれようと、

僕の中に、やってはいけない仕事があるのだ。


仕事を受けなくて良かった。心底、思った。


ま、僕のことはともかく、そんな会社に

企業再生をお願いするところがある、というのが、驚きだ。

それほど、窮地に追い込まれている、ということか。

Websiteの企画・構成からcopywritingまで関わりました。分厚い社史を読んだり、研究所へ赴いたり、ひとつひとつ知ることから始め、手を動かしたのは最後の最後。仕事がうまくいかないことのほとんどは、与えられた情報が足りなかったり、ズレていたりすることが原因ですよね。ちゃんと事を進めれば、正しい情報がたくさん得られれば、うまくいかないわけはないのです。そんな良い例。

https://www.bulldog.co.jp/about/


http://www.kumanoya.co.jp

会社案内から始まり、Websiteまで。企画、ディレクション、コピーライティング、まるまるやりました。熊野屋は「塗料」という言葉を日本で初めて使った会社。140年以上の歴史があり、ノウハウの蓄積たるや、知れば知るほど驚くばかり。といっても、塗料メーカーではなく、俗っぽい言葉で言えば、商社。メーカーっぽくするわけにいかないし、商社っぽいのともちょっと違う。どうすれば、熊野屋らしさが表現できるか。何度も足を運び、あれこれ話を聞き、考えて、悩んで、考え抜いて、どうにかこうにか、辿り着けたかな。

東京マラソンが日曜日に開催される。前回までは隅田川の向こうを走ってたので、まさに対岸の火事(失礼)。ところが今回は自宅がある周辺3方を囲まれてしまった。どこにも行けない。陸の孤島と化してしまう。スタート地点近くなら早々に通個止めが解除されるだろうが、中間点近くなので、朝から夕方まで封鎖されるに違いない。さぁて、どうしたもんか。

確定申告で税務署へ。提出カウンターに6〜7人並んでるのに、受け付けしている署員はひとりだけ。奥のデスクでは何が忙しいのか、どうしても手が離せないのか、難しい顔をして書類とにらめっこしている人がズラリ。いまどき、コンビニでも客が2〜3人並んだら、他で作業している店員がさっとレジに来て「こちらへどうぞ」と言うぞ。お役所は区民ファーストじゃないんだね。

いつからこうなってしまったんだろう。以前は、例えば東京駅から新幹線で行く場合、切符を事前に渡されたり、当日改札前で待ち合わせしてチケットを渡されたりして、座席はスタッフ全員まとまっていた。車内ではその日の段取りを確認したり、その後の仕上げの方向性を話し合ったりするのが、当然のルーティンだった。ところが、昨今は現地集合がほとんど。その流れで、ぶっつけ本番。帰りも現地解散。勝手に動けるので、気がラクっちゃーラクだけど。突発的になんかあったらどうすんだろうなぁ、と思いつつ。いまも帰りの新幹線の中にひとり。そういえば、飛行機移動で現地集合てこともあったっけ。

電車のドアに背をもたれて立っているキミ。みんながドアを向いて立っているのに気にならないのかな。みんなはキミとこんにちはしているようで、ちょっと嫌がっているよ。特にキミの前の女性、あんまり顔と顔が近いもんだから、身をよじってヨコにズレようとしているじゃない。電車内が混雑してるからそれもままならず、どんどん不快な顔になってるよ。 お、次の駅ではキミが背にしているドアが開くよ。わかってる?  ピー! あらあら、勢いよく後ろに押し出されちゃったね。尻もちをつく勢いだったけど大丈夫? ずっといじってた髪の毛が台なしになっちゃったね。 

出雲大社近くにオープンする、とある施設の仕事を受け、現地取材へ。出雲は初めて。「伊勢神宮と比べるとガッカリするよ」なんて言われてきたけど、なんのなんの。そんなことない。規模や神域感はともかく、心の充足感は申し分ない。すべてにアンタッチャブルな伊勢神宮とは違い、何にでも諸説あり過ぎで、ツッコミどころのある大社ってのも面白い。


ゴルフの仕事をしています。久しぶりです。

思えば、仕事への姿勢を正されたのも、長く続く仕事のきっかけを作ってくれたのも、ゴルフでした。今回も、何かの転機、きっかけになるんでしょうか。 

いまやっている仕事は、オール・インタビューで構成するつもりです。繋ぎを入れろとか言われても、断固拒否する気構えでいます。 


写真は「ダブル・ハザード」という、悪いコース・レイアウトの例だそうです。こんなことを教えてもらえるのも、この仕事をやっているから。いくつになっても辞められませんね。